「えっ!?」 あまりにも意志を感じさせないその攻撃は、戦士としての心得を持つエレンも咄嗟に反応することは出来なかった。 仲間のドワーフの神官戦士があげている叫び声や、祭りで浮かれている人々のざわめきなどの音は全て途絶え、コマ送りのような ぎこちない動きながらもその刃は、エレンの胸元に吸い込まれていく…… とすっ まるで、真っ赤に焼けた鉄の棒を押し付けられたような熱さを感じ、エレンはゆっくりと視線を胸元にやった。 そこには、赤錆が浮いたナイフが、まるでエレンの身体から生えてきたかのように突き刺さっていた。 が、不思議とそんなに痛みはなかった。それとも、死と言う現実を眼の前にし、もはや痛みを感じなくなっているだけなのだろうか…… 「フゥウウウウーーーッ!!」 「はっ!?」 呆然とするエレンを現実世界に引き戻したのは、肩に座っていた使い魔の白猫の威嚇の声だった。 その声を聞き、咄嗟に視線を前に戻すと、 どさっ エレンを襲ったそれの、肘から先の部分が崩れ落ち、その拍子にエレンの身体からもナイフが滑り落ちた。 それと同時に、顔の部分に僅かにかかっていた御面が外れ、その顔が露になる。 「ひぃいいいいっ!?」 「ぐっ・・・うえぇええ!!」 その顔を見た物はあるいは恐怖に顔を歪め、あるいは往来の真ん中にもかかわらず嘔吐し、祭りの華やいだ雰囲気は一瞬にして混沌へと 変っていった。 そんな中、エレンは自分でも驚くほど冷静に相手の顔を観察していた。頬の肉は腐り落ち、骨まで露になっている顎には蛆虫さえ涌いて いるその顔を見つめ、エレンは一つの答えを見つけた。 「フィル君・・・だね」 もはや、似顔絵には程遠い風貌ながらも、エレンにはこの屍人がフィルの変わり果てた姿だと気付いた。 ブラン伯の日記に出ていた最後の件、『フィルは生きている』。高司祭でもないものが、早々に死者を蘇らせることは出来ない。 が、肉体を黄泉返らせることに成功したというならば・・・・・・・ 「くっ、このようなところにまでアンデッドが出没するとは!?」 「エレン、離れるんじゃあ!!」 あまりの突然のことに呆然としていたファリス神官のスネイルとジャージスも、ようやく事態を飲み込めて武器を構えた。見ると、 他の仲間はエレンから一般市民を遠ざけるように動いていた。これで、回りを気にせず戦える。 「スネイル君、行くぞ!!」 「おうっ!!」 まずは、接敵しているエレンを引き剥がさなければならない。二人は神への祈りを口にし、屍者めがけて駆け寄った。が、その直後 エレンがとった行動は、誰も予測できなかった。 「もう、いいんだよ」 エレンは腐り果てたフィルの身体を抱きしめ、そっとつぶやいた。 「全ては終わったの。だから、フィル君も・・・もう休もう?」 「・・・ア・・・ぅアア・・・・」 まるで、幼子を寝かし付けるかのようなエレンの物言いに、スネイルとジャージスも呆気にとられていた。 しかし、その言葉が分かるのか、フィルの身体は身動きを止め、エレンの懐に抱かれるがままになっている。 「さぁスネイルさん、ジャージスさん・・・・・この子を、送ってあげましょう」 エレンはそう言うと、フィルを胸に抱きながら奇跡の祈りを言葉に変え、朗々とその口から紡ぎ始めた。 「これは!?・・・・そうか、浄化してやるのか。スネイル君、我々も祈ろう」 「おっ!?・・・・おうっ!!」 呆然としていたジャージスも、エレンの意図を察して聖なる言葉を紡ぎ始めた。それに習い、スネイルも神に祈りをささげる。 『芸術の神ヴェーナーよ。その力を持って、彼の者の終わりなき物語に幕を降ろしたまえ・・・・・・』 『『正義と秩序の至高神ファリスよ。その大いなる力を持って、死してなお眠らぬ者を浄化したまえ・・・・』』 3人のプリーストの祈りの言葉は、高く、低く、厳粛に紡がれていき、そして、段々とその場に神気が溢れていく。 『『『眠らぬ死者に、浄化の御手を。ターン・アンデッド!!!』』』 3人の言葉が一つに連なり、その場に圧倒的な神気が集う。神の御手に拠ってもたらされた奇跡により、フィルの眠らぬ身体は徐々に 崩れていった。 「・・・・・」 崩れるフィルの身体を抱きしめながら、エレンはふと己の耳元に何かの気配を感じた。 『ありがとう、お姉ちゃん』 「フィル君・・・・」 それは、魔力を上乗せした疲労のせいで混濁する意識が導いた幻聴か。はたまた、ようやく眠りに付けるフィルの魂の最後の挨拶か。 いずれにせよ、エレンは満足げに微笑むと、その場にへたり込んだ。 「大丈夫か?」 心配そうに駆け寄るスネイルに、エレンは弱々しく微笑んだ。 「ええ。何とか・・・・」 「刺された傷はどうじゃ?」 「・・・・このくらいの傷、フィル君に比べればなんとも有りませんよ」 「・・・・・」 見ると、エレンは今にも涙をこぼさんとしていた。色々な感情が入り混じって無理に笑みをこぼすエレンの額に、 スネイルは黙って手をかざした。 『至高神ファリスよ。その気高き御心により、我が仲間の傷を癒したまえ。キュアーウーンズ!!』 元々腐りきっていたフィルの腕では、エレンの華奢な身体にさえ致命傷は与えていなかった。至高神によりもたらされた奇跡の癒しは、 エレンの傷を跡形も無く癒してしまう。 「スネイルさん・・・・」 「お主一人が背負いこんだところで、どうなるわけでも無かろうて・・・・・ならば、二度とこのような痛ましい事件がおきないように、 後世に語り継ぐのがヴェーナー神官たるお主の役目ではないのか?」 スネイルはそう言うと、エレンにそっと手を差し伸べた。 「・・・・・そうですねぇ」 エレンはスネイルの手をつかんで立ち上がった。そして、自分の荷物の中から古ぼけたバイオリンを取り出す。 「よかったら、スネイルさん・・・・・・聞いてもらえますか?」 そう言って、エレンが演奏を始めたのはレクイエム。死者の魂を天国へと導く、葬送の曲。 徐々に元の喧騒へと戻った祭りの雰囲気には、到底似つかわしくない曲。 されど、この事件に携わったスネイルとジャージス。そして、仲間達はいつまでもその曲に耳を傾けていた。